オマール・トーレス・メンドーサ
「光と影 2003展」
|-有田 恭子
|-北 義昭
|-黒川元道
|-田口樹
フィリップ・サルーン
「ピンホール写真 2003展」
|-安彦祐介
|-猪股良文
|-イレイン・メッケイ
|-太田ちづる
|-大竹敦人
|-國方大
|-高橋由紀
|-田中孝道
|-富永恭代
|-比嘉良治
稲田 良恵
Kimura Mayumi
山本 功巳
「hanahana 2003展」
|-豊川 藍
|-山本 功巳
|-野口 さとこ
「100人の写真展」
中根 静二
ロベルト・デ・ラ・トーレ


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オマール・トーレス・メンドーサ
Omar Torres Mendoza

カメラ技術の発展は、今日の写真家達のもつ概念を刷新してしまった。
台頭するデジタルカメラやコンピューターによる
修正がフォト製作市場において優勢な状況の中で、オマールトーレスは「1894年9月25日製造」と
刻印されているKodak Panorama No.1 で風景を撮影することを思い立つ。
そうして出来上がったのが「Horizontes(地平線)」18点である。

デジタル化の渦の中でふと立ち止まり、この早熟な写真家は手作業と感覚に頼った
冒険を作品の要とするコンセプトへ立ち返った。
1点につき9〜12の露出時間、作家はメキシコ太平洋岸地方はチャカウアからウアトゥルコ、
イダルゴ州の平原や砂漠地帯、センポアラの沼湖へと人影のない一瞬を求めて駆け巡る。

ネガに刻まれたパノラマサイズ、コンタクト、ゼラチン・シルバー・プリント。
プリントはネガと全く同寸であり、モノクローム空間への今までとは違った
アプローチの仕方を見せてくれる。アンセル・アダムスをはじめとする
写真家たちがテクニックを駆使して別世界の代表的な被写体を追うのに対し、
オマール・トーレスの作品は前意識に極めて近い場所へと我々をいざなう。

質感をもって表わされるひとつひとつの風景の広がりは、
新しいスタイルで横長の作品に我々をひきつける。
その地平線の広がりは人間が持つ視野の限度に限りなく近い。
多様な灰色が印画紙から想い出と夢が共生する我々
の脳裏へと旅する流れにより、その新しいスタイルが生彩を放つのだ。

写真家を写真家たらしめるものはテクニックではなく、
自己の世界を創造する作家自身であるのだということを
オマール・トーレスは気付かせてくれる。フォト・アートを媒体として我々の幻想に形を与えるべく、
時間の流れの中で神の創造物が凍り付いた一瞬を撮るのだ。
「Horizontes(地平線)」は2002年に撮影された。
この多才な写真家の最新コレクションの一つであり、
現代メキシコ写真界を代表するにふさわしいものである。
視覚的詩作という作家の新しい視点を見せてくれる。

Eric Mancebo del Castillo F.

(profile)

展覧会
・コヨアカン中央図書館ヤング・カルチャー・スペースのオープニングにちなんで開催されたグループ展
・ラス・アメリカス劇場にてセルフポートレイトのグループ展『 Pulsaciones y senas (キータイプと合図) 』
・第8回メキシコ フォトグラフィー ビエンナーレ カタログの作成
・アグアス・カリエンテス、モンテレイ、メキシコシティで開催された第17回メキシコヤングアート大会に選出、出展
・ルフィノ・タマーヨ博物館にて国連主催のグループ展
・日本PRINZ THE GALLERY及び GALLERY ISSISSにてグループ展『MEXARTFEST2002』
・メキシカンアートの価値創造グループ展『EXPRESARTE(メキシコ・アート・フェスティバル2002)』

表彰
・メキシコ市博物館でのアルコール・薬物中毒予防に関する展覧会においてメキシコ市衛生局により表彰
・1997年第8回メキシコ・フォトグラフィー・ビエンナーレ参加証 
・国家人口理事会より表彰
・国連により表彰

主な経歴
・LA FABRICA FILMS 社(メキシコシティー):COCA COLA、NESTLE、MTV NETWORK、TELCEL等の
テレビコマーシャル制作アシスタント
・FOCUS 社(メキシコシティー):WONDER, FERRERO DE MEXICO, SEARS, GENERAL MOTOR, T1MSN等の
テレビコマーシャル制作アシスタント
・METRO PRODUCCIONES社(メキシコシティー):PRINGLES, TELCEL, BANAMEX等の
テレビコマーシャル制作及び固定フォトアシスタント
・宣伝広告用の写真制作:ABSOLUT VODKA, MARTEL , COORDINACIION DEL BOSQUE DE CHAPULTEPEC

修了コース
・CNCA、シネティカ ナシォナル メヒコ 映画及び監督脚本映画の世界史コース修了
・ラサロ・ブランコ フォトグラフィー スタジオモノクロ及びカラー写真、映画撮影技巧を学ぶ


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光と影 2003展(2003年 4月)

写真の世界のみならず“光と影”をテーマにしている作家は、世界中に数多くいます。
“光”を感じる作品には必ずと言って良いほど“影”の部分があり、
特に写真の場合は、後でも先でもなく、その瞬間でしかなし得ないものです。
まさしく、“真を写す”写真の世界です。
ここで紹介する作家は、ひとりひとり、個性溢れる作品を制作しています。

どうぞ、今後も彼らの作品に大いにご期待下さい。

Artist

有田 恭子
Kyoko Arita

光と影のかたちをかりて、なお溢れるものには闇が内包されている。
そしてその闇は視る者を知らず知らずに浸蝕していく。

(profile)

1974.01.23■兵庫県生まれ
1996  ■京都精華大学美術学部洋画専攻卒業
1998.03 ■第11回 写真ひとつぼ展入選
1999.04 ■個展 窒息の既視感
1999.11 ■個展 幻 痛
1999.12 ■第4回 How are you,PHOTOGRAPY?
2000.10 ■個展 盲 点
2000.12 ■第5回 How are you,PHOTOGRAPY?
2001.11 ■展覧会 箱 庭
2001.12 ■第6回 How are you,PHOTOGRAPY?
2002.08 ■展覧会 100人の写真展
2002.10 ■個展 不 詳
2002.11 ■展覧会 セルフポートレート展
2002.12 ■第6回 How are you,PHOTOGRAPY?

北 義昭
Yoshiaki Kita

「動物」

昔から、夢の中に触れない皮膚感がある。
'Realism'' ''Non-realism'' ''Surrealism''
それらの狭間に、存在する私の ''Realism''
動物の皮膚に、触れない皮膚感を見つけた。

(profile)

1986年 日本写真映像専門学校入学
1988年 日本写真映像専門学校卒業
  フリーアシスタントになる
1991年 取材のため渡欧
1992年 北写真事務所設立
1995年 西崎画廊オリジナルプリント展出展
1997年 美しい地球大好き出展 APA
  清里フォトミュージアム所蔵
1998年 遺跡の撮影のため南米ペルーへ
  その後、取材のため中南米を回る。
2000年 清里フォトミュージアム所蔵
2001年 京都写真月間出展
2002年 日経ナショナルジオグラフィック(日本語版)コンテストグランプリ受賞
2002年 5/29〜6/4 大阪写真月間出展
2002年 5/27〜6/8 「ギャラリー千」個展北義昭写真展「Ninos」
2002年 6/26 パタゴニア(江坂)で「旅の話と写真のスライドショー」ギャラリートーク
2002年 8/27〜9/1「百人の写真展」出展 Gallery ississ 京都
2002年 11/5〜11 東京「新宿ニコンサロン」個展「Ninos」
2003年 2/1〜10 日本写真映像専門学校 ギャラリー308 写真展

制作方法
Gelatine silver print

黒川元道
Motomichi Kurokawa

光を求めれば求めるほど
影の存在が明らかになる。

(profile)

1983.5.16 京都府生まれ
2002.4  成安造形大学 写真クラス 入学
2003.4  グループ展 ississプロデュース『 ”光と影” 2003展 』【 ギャラリーississ 京都 北山 】

田口樹
Tatsuki Taguchi

人は常に進化というものをしています。
進化とは僕が考えているより簡単なものでした。
進化というのは単なる確認作業なのです。
その確認作業には、目をつかいます。
人は目という感覚を活用し、頼りにしています。
その目で確認できるものはただひとつ
光だけです。
目で光を確認することは僕達にとってとても大切なことです。
なぜそんなに大切なのかというと
光を確認するということは、すなわち自分の存在を確認することだから
人は常に自分の存在を確認していないと生きていくことができません。
人が自分の存在を確認することは、他人の存在も確認するということになります。
他人の存在が確認することができなくなるとさびしさというものに襲われます。
うさぎはさびしいと死んでしまうといいますが、それは人も同じことです。
ただ、うさぎよりさびしさに鈍感なだけ。
鈍感な上に更に進化という華やかさが次々とさびしさを埋め尽くしていきます。
そしてその埋め尽くした部分を人はむなしさと名付けました。
人はさみしさの代わりにむなしさを覚えます。
人は自分を確認すればするほどむなしくなっていきます。
人は自分を光で照らせば照らすほどむなしくなっていくのです。


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フィリップ・サルーン
Philippe SALAUN

2003年 4月15日〜27日 個展

(profile)

1943年3月4日 フランスのブルターニュ地方に生まれる。フランス海外県レユニオンに移住。
1962年〜1964年 アルジェリアで兵役。ヨーロッパヒッチハイク旅行を試みる。 
    1968年 シュテルン誌の写真展に接する。ローライフレックスを購入。パリのドーウォルフ写真スタジオで写真習得
1970年 現像焼き付けのラボで研修。
1972年 白黒専門のプリンターとしてポロラボに就職。この年にペンタックスを購入し写真を撮るようになる。
  この時期ロベール・ドアノーの限定写真ポートフォリオのプリントを任される。
1979年 プロラボを退社し、白黒専門のクオリテイを重視する独立ラボアトリエをオープン。
1980年 フランス国立写真財団の奨学金を得てアメリカ(アリゾナ大学、ツーソン クリエイテイブ写真センター)で過ごす。
1982年 アルル写真フェステイバルやフランス各地でワークショップ講師をつとめるようになる。再びロベール・ドアノーの
    限定ポートフォリオのプリントを任され、以後、クロード・バトーやビル・ブラント等のポートフォリオ制作。
1983年ジェリー・ユルズマンとワークショップ
1984年ペンタックスギャラリー(新宿)で個展
1987年パリ第8大学でプリントアートについて教鞭。大学での教鞭は1994年まで続行。
1990年代からはアフリカの作家セイドー・ケイタ、マルク・シデイベなどのプリント制作がはじまり、以後アフリカ
   への旅行も多くなる。フランスを中心に、ポルトガル、スペイン、アメリカ、日本などのワークショップ講師を
   多く務めながら、同時に写真展を開催。
1997年にプリンターたちの競作「暗室の写真家」展(ドイ・フォトプラザ渋谷)参加。
   日本で1984年以来ペンタックスギャラリーなど個展5回、来日も度々に及び
   プリントワークショップやスライドレクチャーを
   大学や写真専門学校で開催してきた。実践のためのわかりやすい指導は好評を得ている。
   今日までペンタックスを愛機とし白黒写真に専念する一方、プリンターとして仕事をしながら、世界中でプリント
   アートのレクチャー、プリントワークショップを数多く開催してきている。
   特に写真家として動物や彫刻、街角、人間の所作など
   ユーモアとエスプリに満ちたショットをテーマに作品を制作している。
2003年4月から日本での個展、ペンタックスギャラリー(新宿)、植田正治写真美術館(鳥取)、ギャラリーイシス
   (京都)を控え来日し、同時に東京。京都、大津、大阪でレクチャーとワークショップを予定している。

フィリップ・サルーン語る「私の履歴」
私は1943年フランスのブルターニュ地方で生まれました。25才の時世界旅行を夢見て貨物船に乗り込もうと思い立ち、
港まで行ってはみたのですが,その時、偶然出会った写真展によって私の気持ちに変化がおこりました。写真だ・・!
そうして、私はパリに行き広告写真スタジオで働き始めることになります。
ここで二年間、更に写真を収得するため、次にプロフェションナルの写真ラボでプリント技術を経験することになりました。
ここで働いている間にジャック・アンリ・ラルティーグやロベール・ドアノーの作品に接しました。
これらの作品に触れて、まさにこの時、私はプロフェショナルのプリンターになることを決意したの
です。何故かと言いますと私は、作家自身の意図を理解し、
協力して作り上げていくプリンターの仕事がとても気に入りました。私が得たプリント技術の知識と
私自身の考えていることや私の感じ方を生かしながら作家の思っている表現を導き出すという作業が気に入りました。
そんな訳で私は一人でプロラボをオープンしプリンターとして独立することになりました。
以来今日まで25年間この職業は続いています。私はこの仕事を通してウイリー・ロニス、エドワード・ブーバ、ロベール・
ドアノー、イジス、セイドー・ケイタというすばらしい写真家の作品のプリント作業と
作家自身と話し会うチャンスに恵まれました。

以上がプリンターとしての活動ですが、実は、プリント作業と同時に、私は写真を撮ることも一緒に始めていました。
当初からそれが私の大切な楽しみでしたから。
私の撮影作品の発表機会も度々ありました。
70年後半から個展やグループ展ですが、アメリカではカメラワーク・ギャラリー(サンフランシスコ1977年)や
フランス文化センター(ニューヨーク1979年)フランスのデルピール・ギャラリー(パリ1981年)、
ニエプス美術館(シャロン・シュール・ソーヌ1992年)、1984年フナックギャラリーでの巡回展、
スペインのバレンシア近代美術館(1985年)、東京では1992年から2000年の間でペンタックスフォーラム、
フジフォトサロン、オリンパスギャラリー等で紹介されました。
出版物で私の作品が最初に掲載されたときのことをよく覚えています。
1978年にコントルジュール社がオーガナイズした巡回展「フランスの現代写真」展での出版物です。
翌年イギリス「クリエイティヴ・カメラ」誌に掲載されました。
その後私の作品はたびたび写真集に紹介されました。『フランスのクリエイティヴ写真の20年』(写真ノートシリーズ)、
『ドアノーの孫たち』(スイス)、それに『一枚の写真、一枚のテキスト』、『プリンター写真家たち』等で
度々コントルジュール社の出版物とコラボレートしました。1980年にリヨンのフランス国立写真財団から写真賞をもらいました。

ところで、私が初めて植田正治の作品に接したのは1978年のアルル写真フェスティバルでした。
あれから約20年後に鳥取を訪れるチャンスがありました。砂丘に踏み込んだ時、ああ ここは植田正治、
私はこの写真家にオマージュを捧げたい、その作品を作ってみたいと思いました。
そんなわけで、私の頭の中は、植田正治のことがいっぱいになり、池本さんをはじめその他たくさんの
地元の方々の協力を得て、このシリーズは、3回ほど鳥取に赴き完成しました。
しかしこれらをどんなにか植田先生に見てもらいたかったことか。神様は人生に運命を・・、異なった決定を下されました。

私はこれまで述べたように、プリンターとして、写真家として両方をこなして来ましたが、第3の活動として、
私の経験や知識をヤングジェネレーションのために役立つように、「教える」という仕事があります。
10年来、パリ第8大学、リセ・アンリキャトル、ヨーロッパ写真館、リヨン第1大学、アルル写真フェステイバルなど、あるいは
オーストリアのザルツブルグ、アメリカのヒューストン、フランスのモンペリエ、
他にチュニジアのチュニス、南米コロンビアやペルーなどのフランス文化センターなど、そして日本では東京
、鳥取、福岡、熊本などで、いずれもプリント技術のワークショップや写真レクチャーをしてきました。

私は、これら写真に関する3つの活動、プリンター、写真家、教える者として、
他の人々に貢献したいと考えて来ました。写真を通して、何かを作ること、
何かを伝えていくことをしながら私は私の人生を楽しく過ごしていく、これが私の選んだ道です。

フィリップ・サルーン
Philippe SALAUN
2002年4月
           本人の原文と聞きとり2002年収録(文責:G.I.P. 代表 倉持悟郎)

●ロベルト・ドアノー(1912-1994)
ROBERT DOISNEAU

パリ近郊に生まれる。
パリの街角とユーモアを愛した写真家。
ドアノーの言葉
“日常がおもしろい!いつも新しいことが起こる街角は、映画監督でも作ることが出来ないだろう...。”

●インガ・モラ−ト(1923-2002)
INGE MORATH

オーストリア グラ−スに生まれる。
天性の優れた言語力の持主。
パリ在住の際、マグナムのメンバーのひとり、アンリ・カルチェ=ブレッソンのアシスタントを務める。
夫は、アーサーミラー。

●ジャック=アンリ・ラルティ−グ(1894-1986)
JACQUES HENRI -LARTIGVE

パリ近郊に生まれる。
8歳の時に父親からカメラを与えられる


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ピンホール写真 2003展

2003年4月29日(火)〜5月11日(日)

安彦祐介
Yusuke ABIKO

プロフィール

1965年 札幌市生まれ

個展
1992年 [Fluolite Fruits ] ギャラリィー点 東京
1995年 [Fluolite Fruits]ポラロイド ギャラリィー 東京
1999年 [Bill Saitoh Dam Nakagawa] タンバリン ギャラリィー 東京

グループ展 他
1991年 [PARCO Promising Photographers 3] パルコギャラリィー 東京
1992年 [3.3m×2展]ガーディアン ガーデン 東京
1995年 [人間の街 ’95]ガーディアン ガーデン 東京
1996年 [Artist in Residence 東京、日の出町] 東京
1997年 [写真タワー展]東川町写真美術館 北海道 東川町
2001年 K-MOPA 「young portforio」出展   
2002年 ポラロイド ピンホールフォトコンテスト2002 グランプリ
2002年 日本のポラロイド写真展 出展
2003年 ポラロイド ピンホールフォトコンテスト2003 特選

ZERO image社の4×5ピンホールカメラ
ポラロイド type55使用

猪股良文
Yoshifumi INOMATA

シリーズ「Junction」より Junction2 ポラロイドとピンホールの組合せで表現の可能性を探る

(profile)

1953年生、日大芸術学部卒。電通写真部アシスタントを経てフリー。

ピンホールカメラ+ポラロイド809
エマルジョントランスファー使用

イレイン・メッケイ
Elaine McKay

カラー作品での展覧会出展は、今回、私にとって初めての試みです。
いつもは、モノクロームの作品を発表しています。

この度の作品は、1996年にニューヨークで制作。
採光時間は、7〜12秒。

(profile)

アメリカ国内外にて個展並びにグループ展を開催
1990年 ブリッジハンプトンスクールで写真を教え始める。その後、大人のためのプログラム等
    多くのワークショップを担当。ピンホールのワークショップは、子供から大人までを対象とし、
    サウスハンプトンカレッジでは、日本の学生も参加する。
1994年 “50 Years on the Turnpike”プロジェクトのフォトディレクターを務める。
    ピンホールジャーナルでも毎年、彼女の作品が取り上げられている。

マサチューセッツ大学卒。ニューヨーク在住。

手作りピンホールカメラ使用

太田ちづる
Chizuru OTA

大竹敦人
Atsuhito OTAKE

「乳化」
我々の日常には様々な複製が溢れ、生命の複製さえ生産されている。
肉体を構成している細胞にしても、生の発生時には一つの細胞でしかなく、
それが無数の細胞分 裂を繰り返し、DNAの信号によってその姿を変え、それぞれの役目を与えられ人となる。
複製を背負って存在する中で、実物の存在を探している。
存在を取り巻く現在は、刻々と訪れ、同時に、過ぎ去る。
記憶は現在を複製し保存する。
複製された現在は、ときたま顔を出すが実物に打ち消される。
歪みを生じた現在は、乳化を伴い再び保存される。

作庭記仄聞ー瞬きと永遠のあいだの庭ー鷹見明彦(美術評論家)より以下抜粋
 大竹敦人は、ピンホール写真という原初的な写像技術をつかって、さまざまな環境や時間の像化に取り組んできた。
IT社会の急速な進展は、人間性を仮想現実の臨界に解体する陥穽をはらんでいる。
CGやディジタル・アートの一方で、ピンホール写真をあらためでメディアとして捉え直すアーティストが
少なからずいたりするのは、プラトンの洞窟の喩えではないが映像という視覚による自己認識と世界との距離を
設定する窓のゆらぎをめぐる危機感やあらたな欠乏からの衝迫が生じているからだろう。
 大竹の初期作である《Dialogue》(1997)のシリーズは、大型のステンレス鏡面に写像を焼き付けて空間に
配置し、周囲の空間や観る者の姿を写真のなかに映し込む作品だった。
1997年に新宿の百貨店でペデストリアン・デッキで制作された《Viewof Time》では、人が行き交う通路に
面した側壁に直接ピンホール・カメラを仕組んで、壁面に外景のピンホール写像を定着させた。
以降、特定な環境と場所で撮影し、その現場に関わって設置するピンホール写真が大竹の作品の基本形となった。
窓をレンズにして部屋ごと暗箱カメラ化した《mirage》(1999)では、リス・フィルムに反転して写る窓からの
映像が実景に重なるような屋内なセットされた。
大竹のピンホール写真による作品のなかでも、もっとも独創的とおもわれるのは、球体写真だろう。
透明なガラス球に乳剤を塗って、露光可能な場所においてピンホール撮影を行うと、球体面に180°の世界を
写し込むことが出来る。
これは、ヒトの眼球にほぼ重さなる視角である。球体写真から派生した作品に、《ALEF》(2000)がある。
遮光した温室の内側の各所にピンホールになる孔を開けて、ガラス球を取り付けると、球体の内に映り込む
外界の光像がリアルタイムで輝くのが見える。
《ALEF(アレフ)》とは、J.L.ボルヘスの短編に出てくる超次元の器である球体の名だが、
「あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも解け合うこともなく、
それぞれの形状をはっきりと保ちながら凝集している」とボルヘスが記したような空間が現れるだろうか。

(profile)

1970年 東京生まれ
1995年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、
1997年 同大学院修了
1998年 同大学研究生
1999年 同大学油画研究室非常勤助手(〜'02)
2001年 東京学芸大学美術科絵画基礎非常勤講師
2002年〜東京芸術大学美術学部油画研究室助手

個展
2001年「Emulsification」/J.G.邸(アメリカ・バーモント)
   「乳化庭」/セゾンアートプログラムギャラリー(東京・青山)
1999年「air」/Galerie SOL (東京・早稲田)
   「mirage」/モリスギャラリー(東京・銀座)
1998年「Shadow of Witness」/Gallery FRECSCA (東京・新大久保) 
   「Dialogue #」/Galerie SOL(東京・早稲田)

グループ展
2002年「LUMINAS/光の振幅」/MUSSE F+表参道画廊(東京・神宮前)
   「2002.HERE」/ギャラリー毛利(東京・銀座)
2001年「発生の場/ドローイング」東京芸術大学大学美術館付属陳列館(東京・上野)
   「乳化景」/東京国際フォーラム (東京・有楽町)
2000年「桐生再演6」/旧森山芳平織物工場(群馬・桐生)
   「Open Studio」東京芸術大学絵画棟(東京・上野)
1999年「桐生再演5に向けて」(東京展)JIA Architects Museum(東京・神宮前)
   「桐生再演5に向けて」(桐生展)桐生市有鄰館・塩蔵(群馬・桐生)
   「生まれつつある現在」/SOKOギャラリー(東京・新木場)
   「MIRAGE-鏡面界-」/Gallery RASEN (東京・国立)
   「新人助手展」東京芸術大学絵画棟演習室(東京・上野)
1998年「桐生再演1998〜街における試み」桐生市有鄰館(群馬・桐生)
   「現代の美術」/井上画廊(東京・銀座)
   「TRACE展」/Galerie SOL(東京・早稲田)
1997年「桐生再演4〜街における試み」/旧森山芳平織物工場(群馬・桐生)
   「Walking Museum ‘97」/新宿高島屋タイムズスクエア (東京・新宿)
   「創作展5」/東京芸術大学芸術資料館 取手館(茨城・取手)
1995年「写真で語る4」/東京芸術大学 陳列館(東京・上野)
   「risa nagisa-五感のトランス-」 /YBP横浜ガレリア (神奈川・横浜)
   「創作展4」/東京芸術大学芸術資料館 取手館 (茨城・取手)
1994年「 EXHIBITION-風景-」/東京芸術大学大学会館(東京・上野)
   「油画学生6人による作品展」 /目黒区美術館区民ギャラリー(東京・目黒)
1992年「三人展」/ギャラリーM3 (東京・青山)

パブリックコレクション
シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)/アメリカ・シカゴ

社会活動
「カメラ・オブスキュラを冠って散歩しよう/影のアート・フォトグラムに挑戦」
 /東北生活文化大学高等学校('03)文部科学省特色教育進行モデル事業
「今日の美術入門」/東京芸術大学公開講座('99〜)
「Shadow of Witness」/Gallery FRECSCA(東京・新大久保)('98)ワークショップ
「Photograph Practice」/東京武蔵野美術学院(東京・国分寺)('97,'98)ワークショップ

解説 【球体写真】
 作品「Emulsification」は、ピンホールの原理を使用した球体写真です。
支持体は内部が空洞の硝子製球体に穴が開いているものを使用し、穴の部分から硝子製球体内部に
写真乳剤を塗布。
外側を遮光幕で被い、穴の部分にピンホールの付いた板を取り付けた印画物(フィルム)でもある
球体のピンホールカメラを研究発明しました。
この球体ピンホールカメラにてコンセプトから導きだされる某所を撮影し、現像後完成します。
 球体写真は、平面写真では再現できない上下左右約180度の画角を持ちます。
我々の眼球とほぼ同じ範囲を写し出し、ピンホールの特性上ピントは手前から奥まで全て合います。
露光時間は、野外のもので晴天時約1時間〜5時間で、屋内の場合は数日間に及びます。
また、ネガティブ乳剤を使用しているため写 像はネガで再現されます。

國方大
Dai KUNIKATA

高橋由紀
Yuki TAKAHASHI

カモが産まれて初めて見るものを親と思う「刷り込み」のように、私が初めて写真の
世界に目覚めたのが針穴写真でした。
自分で作った頼り無いほどの小さな穴と箱の中から今まで見たことのない様々な
イメージが次々と湧き出てきました。
それは、私の想像や思想を一気に超えた衝撃であり、非日常の感覚へ導いてくれる
「たまて箱」でもありました。
以来、私は小さな穴が導く不思議な世界を、ただひたすらに追いかけ続けているのです。

(profile)

1973年生まれ、福井県福井市在住 
1997年より、針穴写真(ピンホール写真)を始める
2000年、東京工芸大学芸術別科写真専修 入学
2001年、同学科修了
2002年、鯖江市図書館にてグループ展参加
2002年、日本ポラロイド「ピンホールフォトコンテスト2002」佳作入賞
2003年、日本ポラロイド「ピンホールフォトコンテスト2003」一般部門グランプリ入賞
現在、美術館他でワークショップや、現像プリントのサポートなど

自作暗箱による針穴写真(モノクロ、ポラロイド)

田中孝道
Kodo TANAKA

一連の作品は、多肉植物を自製ピンホールカメラで撮影したもの。
使用したフィルムはポラロイド55T、引き抜き現像した後のネガを定着液につけず、
自然乾燥にまかせた。
そのときのホコリやゴミまでも含んでいるが、それもひとつのアクチュアリチィーとして
作品に取り込んでみた。

いまなお、ネガ像は変化を続けている。
やがて消滅するかもしれない、いわば漂流する陰画より生まれた画像である。
すべては変転していく、変相し、変態していく。Nothing remain.

                                  田中孝道
協力:財団法人進化生物学研究所

(profile)

1946年 山梨県生まれ
1966年 現代美術研究所入所
1968年 東京藝術大学美術学部油絵科入学「田中孝道捜索展」朝日新聞尋ね人欄、山梨県民会館地下画廊
1969年 第5回国際青年美術家展(池袋・西武百貨店)
   第9回現代日本美術展(東京都立美術館)
   フィルム・アート・フェスティバル(草月会館)
1970年 神奈川県美術展
   ときわ画廊企画展「6月のスペース」
   UNFIXER展「同時同存:東京...サンタモニカ...ニューヨーク」(ときわ画廊)
   ニルバーナ展(京都市立美術館)
   個展(ときわ画廊)
1971年 最終美術への招待展(長崎県立美術館)
   電報体...観念の外延(京都・ギャラリー16)
   京都ビエンナーレ(京都市立美術館)
   個展(ときわ画廊)
   カラストロフィーアート(ミラノ・サンフェデーレ画廊)
1972年 東京藝術大学美術学部油絵科卒業
2002年 「111人の自画像展」始弘画廊
2003年 「ピンホール写真展」ギャラリーイシス

ベンダーのピンホールカメラ使用

富永恭代
Yasuyo TOMINAGA

夢で見た場所

現実の生活の中で「あっ、なんか夢で見た気がする」と思うときがある。
それとは逆に「今日は、こんな夢を見たい」とか実際に行ったことのある
場所を思い、「あの場所を夢で見たい」と思うときもある。
そんな実際に行ったことのある場所を夢の中で見ているように見たくなった。
ピンホールカメラを使うことで視界がボヤケ、夢の中で見ているように見えたり、
行ったことのある場所でも見たことのない視点で違った景色が見えたりしてとても
新鮮な世界が広がった。

(profile)

1983年3月 徳島うまれ
2003年 日本写真映像専門学校卒業
2003年 個展「タカラモノ」(スペース千)

自作のピンホールカメラ使用

比嘉良治
Yoshiharu HIGA


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稲田 良恵
Yoshie Inada

2003年 5月 個展 「daily food」

日々、私達は食べるという行為を繰り返している。 「食」にはたくさんの要素が含まれていて、
私達はそこから生きる糧を得ていく。
糧には、より簡単に栄養を吸収出来る「ファーストフード」と、素材を大切にし、
時間をかけて味わう「スローフード」という在り方があり、私は日常に出回って
いる健康食品の「カラダに良い」と表記されているものは、ファーストフードを
象徴するものの一つだと考えている。
この二つを捉え直す事でライフスタイルを考察したい。

あなたは何を食べていますか?

(profile)

1980年 兵庫県生まれ
1999年 成安造形大学情報デザイン郡デザイン科入学
2001年 成安造形大学2回グループ展「21瞬」/ギャラリーそわか(京都)
2002年 稲田良恵展「life/health」/立体ギャラリー射手座(京都)


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Kimura Mayumi
Mayumi Kimura

2003年 5月 個展

 子供の頃から、ミラクルやマジック、変身といったことには大変興味がありました。
テレビの影響も大きかったと思われます。
大人になった今でも、変身願望やミラクルへの期待がなくなることはなく、そんなことが私の制作活動の根源にあります。
 一体なぜ私(たち)は変身したいのでしょう?たくさんの変身物語のなかでも、
マイケル・ジャクソンの実例や、森村泰昌の作品
は、私にとってとても興味深いものです。
 理想の自分のイメージに近づく努力と。自分の個性の追求との矛盾した関係。
理想と現実の二つの像の隙間に生まれるアイロニー。
変身を夢みて模索していくうちに浮き彫りになってくる、何者でもない、とりかえ可能な(Interchangeable)自分に
対する不安(Disturbance)。
 現実という名のファンタジーの中で、私たちはジブンノアイデンティティーを、あいまいな確信と不安として
捕らえることしかできないのかもしれません。
 これらのポートレート(計60枚)は、他人のテリトリーの中に仮の自分のテリトリーをつくろうとすることで自己表現を
たくらむ、一人の、本来ならばウエディングケーキの上にちょこんとのっているはずの人形(花嫁の友人役)の、
変身物語の記録です。
彼女が最後にたどりつくのは、一体、「誰」なのでしょうか。


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山本 功巳
Kumi Yamamoto

2003年 5月 個展 「A distance of atmosphere -より深く、より近く。-」

人、動物、植物、街、そしてあらゆる風景には、言葉では言い表せない空気感があります。
たとえ地球上のどこに向かおうとも、そこには風土、風習、言葉、文化の違いがあり、
それを体感する時、私は自分自身がとてもちっぽけで頼りない存在に思えてきます。
私自身の存在、過去の経験、様々な記憶のすべてをもって被写体に対峙する時、
私は被写体との絶対的な距離を感じます。
私はその絶対的な距離を埋めたいと望み、また、写真を撮ろうとするのです。

花は私にとって、人生を早送りで見させてくれる生き物です。
ゆるやかに、おおらかに生きて、その短い命を終えていきます。
美しく咲き、散っていく彼女たちは、何のために生まれ、何を考えているのでしょう?
そう彼女たちに問いかけてみると、とてもゆっくりと、不確かな答えが返ってきます。
私は自分が受け取った、彼女たちの答えを写真に撮っているのです。

女性の身体は花に似ているような気がします。
優しい曲線、なめらかな肌、内在する頑な意志、圧倒されるほど神経質な生命力…。
私はやがて、花から受け取った答えを体現してくれる女性を求めるようになっていきました。

私はまた、自身の写真と、それを見る人々との間に流れる空気に距離を感じます。
何かと何かが出会う時、触れ合う時、いつもそこには距離が生まれるのです。
私はそれを、”A distance of atmosphere” と呼びます。

より深く、より近く、じっと見つめてみてください。
そこに流れるdistanceが少しでも縮ますように。

ありがとうございました

(profile)

1968年1月  大阪生まれ
1986年3月  大阪府立藤井寺高等学校卒業
1988年3月  ヒューマンアカデミースタイリスト学科卒業
       ヘアメイクアップアーティストを目指す。
1990年    小出美容理容専門学校通信科卒業
       写真に興味を持ち、コマーシャルスタジオ
<スタジオシルクハット>に就職
1992年    コマーシャルスタジオ<スタジオマイク>を山本ミキオ氏と共に設立
       コマーシャル写真での活動を経て、写真作家活動を開始させる
1998年    日本広告写真家協会公募展入選
1998年   個展<コダックイマジカ大阪>
1998年   清里フォトアートミュージアム<パーマネントコレクション>
1999年    日本広告写真家協会公募展入選

個展・グループ展
2002年9月  SULUJ Galleryグループ展<ユーゴスラビア>
2002年8月  100人の写真展<ギャラリーイシス京都>
2002年6月  大阪写真月間150人の写真展<大阪>
2001年1月  名護写真フェスティバル<YJP写真展 沖縄>
2001年1月  清里フォトアートミュージアム<パーマネントコレクション>
                   <山梨>ヤングポートフォリオ展
1999年6月  55mercer Gallery グループ展<ニューヨーク>
1999年3月  Caelum Galleryグループ展<ニューヨーク>

@シューピーゲル写真家協会会員 制作方法 カメラ TOYOビュー45G<4×5インチサイズ>
フイルム コダックTmax 100
ポラロイド55タイプ 印画紙 イルフォードマルチグレード、ウオームトーン
<もしかしたらかわるかもしれません。> トーニング する予定ですけど、なににするかは考え中。
ゼラチンシルバープリント


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hanahana 2003展

2003年 6月3日(火)〜15日(日)

イシスプロデュースによる展覧会のひとつ“hanahana”2003展は、グループ展です。
この展覧会では、“花”をテーマとし、制作方法及び表現の違う作家を紹介することを目的としています。
花の写真は世界中に数多くあります。プロからアマチュアまで被写体として一度はみんなカメラを向けた経験があ
るかと思います。表現方法も十人十色。“花の魂に触れる”と同時に“作家の魂にも触れる”そんな一瞬を作品か
ら感じるのは私だけではないと思います。
さらなる新たな表現を創造している方々の作品発表の場を広げていくことを目指し、イシスだけでの展示で終わら
すことなく、ポートフォリオを作成し、もっと広く、日本はもとより海外へのアプローチをしていきます。

豊川 藍
Ai Toyokawa

(profile)

1981年 奈良県に生まれる
2004年 成安造形大学写真クラス卒業
2005年 成安造形大学写真クラス研究生修了

個展
2005年「ある 風景」 EarlyGallery「meaningless」UND(東京/目黒)
2004年 「meaningless」EarlyGallery「視覚的快楽」 WHITE CUBE KYOTO(京都)
2003年 「視覚的快楽」 photo gallery ississ(京都)

グループ展
2004年 「クリスマス小品展」EarlyGallery
2004年 「成安造形大学卒業制作展」 大津市歴史博物館(滋賀)
2003年 「hanahana*2003」 photo gallery ississ(京都)
2002年 「我が_まま」 ART COMPLEX 1928(京都)

山本 功巳
Kumi Yamamoto

(profile)

2003年6月  hanahana 展 <ギャラリーイシス 京都>
2003年6月  大阪写真月間150人の写真展
2003年6月  個展 ギャラリー308<日本写真映像専門学校内、大阪>
2003年5月  個展 ギャラリーイシス企画展<京都>
2003年2月  個展 <伊丹市立工芸センター、兵庫県>
2002年9月  SULUJ Galleryグループ展<ユーゴスラビア>
2002年8月  100人の写真展<ギャラリーイシス 京都>
2002年6月  大阪写真月間150人の写真展<大阪>
2001年1月  名護写真フェスティバル<YJP写真展? 沖縄>
2001年1月  清里フォトアートミュージアム<ヤングポートフォリオ展 山梨>
1999年6月  55mercer Gallery グループ展<ニューヨーク>
1999年3月  Caelum Galleryグループ展<ニューヨーク>
1999年    日本広告写真家協会公募展入選
1998年    日本広告写真家協会公募展入選
1998年    個展<コダックイマジカ大阪>
1998年    清里フォトアートミュージアム<ヤングポートフォリオ展 山梨>

野口 さとこ
Satoko Noguchi

(profile)

1998年 2人展「AMBIENT TOKYO」(ラスチカス)
1999年 写真家、島内浩一郎氏に師事
2000年 フジフォトサロン新人賞、部門賞入選、発表展(フジフォトサロン)
2003年個展「SUITE FEERIQUE」(Star Poets Gallery)グループ展「hanahana展」(ギャラリーイシス)


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■100人の写真展

2003年7月29日〜8月31日

(object)
“百人の写真展”は、
写真を通じての交流と新人発掘を目的とします。
特に優秀な作品は、ギャラリーイシスで買い上げると同時に
翌年2月に個展または選抜展を企画致します。
また、参加者の今後の作家活動のためのサポートを致します。
第二回目となる今年も更なる可能性を秘めた多くの作品を期待しております。


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中根 静二
Seiji Nakane

僕は自然の写真を撮るのが好きだ。1992年頃から僕は、
アメリカ合衆国内を旅して写真を撮って来た。
いつもテントで寝起きをし、周りの自然にじっくりと浸かりながら撮影をしている。
そうすることによって、自然を“物”としてではなく“意識体”として感じる事が出来る。
 この世界に存在する水、樹木、石、土、そして風。空間の中に、
それぞれの想いが漂いだして混ざり合い、そしてひとつの景色が出来上がってゆく。
景色は僕の気持ちを読みとり、語りかけてくる。彼らの表情は実にさまざまである。
 僕はその空間の持つ“想い”を写真で表現したい。
クリスタルのように透明で壊れやすいそれは、
白黒写真の持つ透明感、不確定な現実性によって表現できると思う。

1999年から僕は森の写真を撮ってきた。岐阜県の山里で育った僕にとって、
森とは遊び場であると同時に、心霊達の住む特別な場所でもあった。
森の中には外の世界とハッキリと違う空気が流れていた。
そこではいつも何かに見守られているかのような感覚を受けた。
 森を構成する何千万本もの木に同じ形のものは2本存在しない。
それぞれ違う意識が多く集合する事によって、森はその霊的な力を維持している。
 最近こうした力を持った森が少なくなってきている。
文明によって伐採、植林され、そして人間により管理された森には神秘的な力が携わっていない。
 僕がこれらの森の写真によって表現したいものは、その霊的な力である。
僕はそうした力を持つ森に行き、その森に寝泊まりして写真を撮る。
その写真は人の心をやさしく癒してくれる筈である。

中根静二   2001年 冬


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ロベルト・デ・ラ・トーレ
ROBERTO DE LA TORRE

2003年 9月 「ON SALE ― Arquitectural interventions in Kyoto ―
        (EN VENTA ― Intrervenciones arquitectonicas en Kyoto ―)」

『ON SALE』 は、色とりどりの旗をメキシコから日本へ持ち込み、京都の街の住宅や寺院といった、
様々な建造物に取り付けるプロジェクトです。

メキシコやその他の国々では、この種の旗は、マンション、ビル、
車の売り出しや賃貸を知らせるために使われます。
今回のように日本で建物にこの旗を取り付けた場合、見る人にとって、
場所の視覚的認識やその意味が変化します。

このプロジェクトの性質及び規模から、この作品は、
我々の時代に他のアーティストたちによって行われてきた
『建造物や都市への介入(intervenciones arquitectonicas y urbanas)』
に相当するものと言えるでしょう。

今回、作家ロベルト・デ・ラ・トーレは、
京都の各建物でのパフォーマンスを写真でお見せし、
また、プロジェクトの過程と進展をビデオにて綴ります。
この展覧会は、作家が日本に滞在した約2ヶ月間に行ったパフォーマンスの集大成です。
ギャラリーississ、そして沢山の方々の寛大なご協力により実現できましたことを、心より感謝申し上げます。

(profile)

ロベルト・デ・ラ・トーレは1967年、メキシコのプエブラ州プエブラ市生まれ。
ENPEGラ・エスメラルダ大学にてビジュアル・アートを学ぶ。
1996年から現在に至るまで、国立芸術センター(Centro Nacional de las Artes)の
ビジュアル・アート校にて教鞭をとる。

彼の作品は、メキシコ国内及び世界の様々な都市で展示されている。
最近の展覧会は、今年2003年、アメリカ合衆国で開催された展覧会
『closerthantherealthing: 8 micro installations 』
(THE THING, Thing’s office space、New York)である。

2002年には、日本の諸都市のギャラリーやフェスティバル、様々な空間でプロジェクトを展開した。
そのうちの主なプロジェクトは、MEXARTFESTおよびGallery ississ の協力による
『On Sale』 (京都の7つの建造物でのパフォーマンス)、
『Arte de proceso』(Prinz Gallery 京都)、『Recolector de monedas』(梅田スカイビルディング 大阪)、
『Casting para chiflar』(Globe Gallery 東京)、『パフォーマンス フェスティバル Aizu Art College』(福島県)、
『Mixed Media Art Communications 』(MMAC 東京、パフォーマンス フェスティバル)である。

1997年から現在に至るまでの、主な国際的な業績及びイベント参加は次の通りである:

・ プロジェクトParicutin/Actions in site, Festival, Kuntlerhaus Bergedorf, ハンブルグ-ドイツ 2002年11月
・ エキシビジョンCity of fictions / Mercer Union Gallery, トロント-カナダ、2001年
・ Performance Festival in Dresden/Flex X, ドレスデン-ドイツ、1998年
・ Multimedia Festival /フィンランド国立現代美術館“KIASMA”, ヘルシンキ-フィンランド, 1998年
・ Jump Start Performance Co. サン・アントニオ テキサス-アメリカ合衆国、1997年

アーティストとして活動を始めてから現在に至るまで、メキシコ国内での多くの
多様なイベントやフェスティバルに参加。最近のもののうち主なものとして、
Festival de Arte Sonoro, 2002 (音響アートフェスティバル)が挙げられる。
このフェスティバルでは、最新アート・センターEx Teresaにて『Silbar』、
そしてColeccion Jumexのインスタレーションにてビデオインスタレーション
『Traca Traca』を行った。同年、ローマのMUCAでインスタレーション『Sisifo ambulante』を展示。

1998〜1999年、プロジェクト『Artists Dream』で、FONCA(国立文化芸術基金)の
若手クリエイター奨学金を獲得。1999年、アーティスツ・レジデンス(芸術家フェローシップ)
にてカナダ・バンフセンターへ。同年、国立芸術センターのPADID(芸術教育・研究・普及助成プログラム)
芸術活動奨学金を受ける。2001〜2002年は、『corre Lola corre…!』
プロジェクトでFONCAよりオータナティブ・アート分野の若手クリエイター奨学金 を得た(3度目)。

彼の作品は国内外で、カタログ、書籍及び専門雑誌に紹介されている。
ワークショップを開催したり、国内および海外での講演のため招聘されてもいる。
また、パフォーマンスのフェスティバルに招聘アーティストとして参加し、審査員をした経験もある。
加えて、アート系のイベント及びコンクールにて多くの賞を獲得。
その中の主なものは、オータナティブ・アート・センターEx-Teresaで開催された
第3回インスタレーション・コンクールにおける特別賞、
モンテレイ美術館での1996-1997年第3回モンテレイ・ビエンナーレ特別賞、
メキシコシティーEx-Teresaでの第4回パフォーマンス・フェスティバル最優秀賞など。

1990〜1996年、実験的グループ“19 Concreto”の創始者及びメンバーの一人であった。
6年間の活動で、インスタレーション及びパフォーマンスの数々のプロジェクトを展開し、
知名度の高い賞を授与された。
その中でも特筆すべきは、1992年と1993年にそれぞれ、
メキシコシティーのCHOPO大学美術館と最新アート・センターEx Teresaで開催された
第1,2回パフォーマンス・フェスティバルにおける最優秀賞の獲得である。
1994年には、モンテレイ美術館で開催された第2回モンテレイ・ビエンナーレで、
インスタレーション部門の国家名誉賞を受賞。また、1994〜1995年には、
グループの『19 Concreto Via Satelite』プロジェクトでFONCAの若手クリエイター奨学金を得る。


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